「山なんて何が楽しいの?」と思っていた私が、60歳から始めて大雪山を縦走するまで

60代女性ソロ登山

「山登りって、何が楽しいんだろう。」

以前の私は、本気でそう思っていました。

山にはまったく興味がなく、登山する人をテレビで見ても、

「わざわざしんどい思いをして……ばかじゃないの?」

そんなふうに思っていたくらいです。

私は、8人の子供と暮らすシングルマザーでした。

仕事へ行って、家に帰って、また仕事へ行く。
特にこれといった趣味もなく、それが普通の毎日でした。

運動経験もほとんどありません。

そんな私が60歳を過ぎて、一人で山を歩くようになりました。

最初の頃を今振り返ると、結構な方向音痴なのに一人で山へ行き、計画も装備も、今なら考えられないようなものでした。

でも、その頃の私は怖いとも思っていませんでした。

なぜなら私にとって山登りなんて、

ただ歩いて、景色を見て、お弁当を食べて、休憩して、おりるだけ。

そのくらいにしか考えていなかったからです。

山で何が起こるのか。
何を準備しておかなければいけないのか。

知らなかったから、怖くなかったのだと思います。

今考えると、怖さを知らなかったことが一番怖い。

そんな私が、少しずつ山を歩くようになり、失敗もしながら、準備や装備について一つずつ覚えていきました。

そしていつの間にか、以前の私なら想像もしなかった大雪山を縦走するまでになりました。

大雪山を歩いたことを自慢したくて、この記事を書くわけではありません。

運動経験がほとんどなかった60代の私でも、しっかり準備をして、自分なりに工夫を重ねていけば、少しずつ歩ける場所は広がっていく。

私が伝えたいのは、そのことです。

少しの工夫と冒険心があれば、見える景色は変わる。

私が山を歩くようになった最初のきっかけは、北海道でした。

山に興味のなかった私が、知床五湖を歩いた

最初に北海道を訪れたとき、知床五湖をガイドさんと一緒に歩きました。

このときも、「登山をしてみたい」と思っていたわけではありません。

北海道を旅する中で、知床五湖を歩いただけです。

でも、実際に歩いてみると、それまでの日常では感じることのなかったワクワクとドキドキがありました。

知らない道を歩く。

次にどんな景色が出てくるのか分からない。

ただそれだけなのに、なぜか楽しかった。

旅行から帰っても、その感覚が心のどこかに残っていました。

そして翌年、私はまた北海道へ行きました。

今度は一人です。

北海道を移動していると、あちこちに大きな山が見えました。

それまでの私は、山を意識して見たことすらなかったのだと思います。

山は一つずつポツンとあるものではなく、いくつもの山が連なり、ずっと向こうまで続いている。

県をまたいで山が続いているなんて、そんなことさえ考えたことがありませんでした。

「山って、こんなに大きいんだ。」

それまで何とも思わなかった山を、私はいつの間にか眺めるようになっていました。

だからといって、この時点で、

「よし、登山を始めよう」

と思ったわけではありません。

ただ、知床五湖で感じたワクワクと、その時、五湖から見た大きな山々が、ずっと頭のどこかに残っていました。

そして家に帰ってから、ふと思いました。

「近くの山、ちょっと歩いてみようかな。」

大阪の山といって、私が思いついたのは金剛山くらいでした。

それが、私の最初の山になりました。

初めての山は金剛山。「あー、しんど」

私が最初に選んだ山は、金剛山でした。

なぜ金剛山だったのか。

今思えば、たいした理由はありません。

大阪の山って、金剛山くらいしか知らなかったから。

「じゃあ、金剛山に行ってみよう。」

本当にそのくらいの気持ちでした。

もちろん、登山の知識があったわけでもありません。

当時の私にとって山登りは、

「歩いて、景色を見て、お弁当を食べて、休憩して、おりてくるもの」

その程度の認識でした。

実際に歩き始めてみると、最初に出てきた感想は、

「あー、しんど。」

でした。

山道を歩いている間、ずっと素晴らしい景色が見えるわけでもありません。

金剛山は虫も多くて、虫が得意ではない私には、それも気になりました。

「これの何が楽しいんだろう。」

テレビで登山する人を見ながら思っていたことを、自分が山の中で思っていたのかもしれません。

それでも、私は人の多いところがあまり好きではないので、山へ行くなら早い時間に歩いていました。

ある朝のことです。

いつものように山道を歩いていて、

「あー、しんど。」

と思いながら、ふと上を見ました。

高い木々の間から、朝の光が差し込んでいました。

そのとき、足が止まりました。

ものすごい絶景だったわけではありません。

有名な展望スポットでもありません。

ただ、木の間から朝日が差している。

それだけです。

でも私は、それまでの日常で、こんな景色を見たことがありませんでした。

「こんな景色があるんだ。」

山頂に着いた達成感よりも、そのとき見た光の方が、今でも記憶に残っています。

怖くなかった。怖さを知らなかった

山へ行く回数が増えても、最初の頃の私は、山の怖さをほとんど知りませんでした。

私は結構な方向音痴です。

それなのに一人で山へ行く。

今振り返れば、登山計画も装備も「よくこれで行っていたな」と思います。

でも当時は、それほど怖いとは思っていませんでした。

山って、歩いて、景色を見て、お弁当を食べて、少し休憩して、また歩いて下りてくる。

そんなものだと思っていたからです。

道に迷ったらどうするのか。
天気が急に変わったらどうするのか。
予定より時間がかかって暗くなったらどうするのか。

そんなことを、最初から全部考えていたわけではありません。

怖くなかったのではなく、怖さを知らなかった。

今考えると、そのことの方が怖いと思います。

それでも山へ行くたびに、少しずつ分かることが増えていきました。

「これは持って行った方がいいな」
「人が多い時期と時間帯」
「私は足が遅いので時間に余裕を持つ」

一度に全部できるようになったわけではありません。

実際に歩いて、困ったり、失敗したり、不安になったりするたびに、次はどうすればいいのかを考える。

その繰り返しでした。

トイレのこともそうです。

一人で歩くときの安全対策も、道迷いへの備えも、装備の選び方もそうでした。

今このブログで書いていることの多くは、最初から知っていた知識ではありません。

自分が山を続けるために、一つずつ覚えてきたことです。

そして準備ができるようになると、不思議なことに「怖いから行かない」ではなく、

「ここまで準備したなら、次はもう少し先へ行ってみよう」

と思うようになりました。

私にとって準備や装備は、山へ行くことを難しくするものではありませんでした。

むしろ、自分の行ける場所を少しずつ広げてくれるものだったのだと思います。

「私に歩けるかな」が少しずつ変わっていった

山を歩くようになってから、行ってみたい場所も少しずつ増えていきました。

最初から難しい山を目指していたわけではありません。

山の写真を見たり、歩いた人の記録を見たりして、

「行ってみたい。でも私に歩けるかな。」

そう思う場所が少しずつ増えていきました。

以前の私なら、「無理」と思って終わっていたかもしれません。

でも、山を歩くようになってからは、

「歩けるかな」と思ったら、まず調べるようになりました。

どのくらいの距離なのか。
どのくらい時間がかかるのか。
高度な技術が必要な箇所はあるのか。
水を確保できる場所があるのか。中でも私が大切にしているのが、時間です

私は歩くのが速くありません。
標準のコースタイム通りに歩けるとは考えず、「私ならどのくらいかかるだろう」と考えて計画します。

誰かの「歩けた」ではなく、私が歩けるかどうか。

そこを考えるようになりました。

そして、いきなり挑戦するのではなく、そのために必要な体力や経験を少しずつ積んでいく。

そうすると、「私には無理」と思っていた場所が、

「ちゃんと準備すれば、歩けるかもしれない」

に変わっていきました。

その一つが、大雪山でした。

大雪山を歩いてみたい。

でも、私に歩けるかな。

不安がなかったわけではありません。

だからこそ、とことん調べて準備をしました。

そして実際に自分の足で歩いたとき、うれしかったのは「大雪山を制覇した」ということではありませんでした。

金剛山で「あー、しんど」と言っていた私が、少しずつ経験して、準備して、工夫して、ここまで歩いてこられた。

そのことでした。

大雪山で「私、本当にここを歩いてるんだ」と思った

大雪山縦走、最終日の朝でした。

歩いている途中、目の前に広がる景色を見て、ふと足が止まりました。

大きな空と山。
その中を、一本の登山道が続いていました。

「私、本当にここを歩いてるんだ。」

そう思いました。

金剛山を歩き始めた頃も、心に残ったのは山頂ではありませんでした。

「あー、しんど」と思いながら歩いていて、ふと上を向いたときに見えた、木々の間から差し込む朝の光でした。

そして大雪山でも、心に残ったのは「縦走できた」ということより、歩いている途中で見たこの景色でした。

山なんて何が楽しいの?

そう思っていた私が、今、自分の足でこの景色の中を歩いている。

最初から大雪山を目指していたわけではありません。

始まりは、

「近くの山、ちょっと歩いてみようかな。」

ただ、それだけでした。

知らなかったことを一つずつ覚えて、失敗したら次は工夫して、行ってみたい山ができたら「私に歩けるかな」と考える。

そうやって少しずつ歩いてきたら、いつの間にかここまで来ていました。

少しの工夫と冒険心があれば、見える景色は変わる。

山を始めてから私が見てきたのは、山の景色だけではなかったのかもしれません。

大雪山を実際に歩いた日の記録はこちらに書いています。
👉「大雪山縦走を歩いた日|60代の私に自身になった山行」

大雪山縦走を歩いた日|60代の私に自信になった山行
60代女性の私が大雪山縦走に挑んだ体験と、そこで感じた不安・達成感、そして今の登山にもつながっている「小さな自信」について振り返ります。

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